足の引っ張り合い
難病患者となって、一番困るのが、周りの理解が得られないのですが、私の場合は、家族が理解しない、協力してくれないのです。
だから、いろんなブログを読んでいて、家庭円満で、困った時に助けてくれる家族がいる人を見つける度に、羨ましく思います。
私の不幸のすべては、私の両親が原因していて、別の両親から生まれた場合、今までの不幸とは別の不幸を経験したかもしれないけど、今までの不幸と比べたら、マシだったのでは?と思う時があります。
実際、難病は遺伝による場合があって、別の両親から生まれていれば、難病を遺伝しなかったわけで、難病にかかることもなかったわけです。
ということは、私は今の両親から生まれたこと自体が、私の人生において、取り返しのつかない失敗なのかな?と思う時が、度々あります。
家族の理解が得られないだけでなく、その次は、医師や病院関係者、その次は、福祉事務所の職員、保健所の職員であって、結局、私に関わる人は当事者じゃないから、私が何でつらい思いをしているのか、誰も気づいてくれません。
健常者なら、10キロでも歩かないといけない状況に陥ったら、歩くと思いますが、私の場合は、数メートル歩くのも、かなり難しいことで、かなり辛いことです。
「歩けるんだから、歩けよ」というのが、健常者の頭の中にある考えだと思いますが、「私は健常者のように、普通に歩いていない」というのを、理解してほしいわけです。
手術するために入院した時は、足に力が入らず、歩行困難になっていました。
急性期の病院から、回復期の病院に移り、本格的にリハビリを開始した時には、歩き方を忘れていました。
幼少期の時に戻ったような感じで、リハビリで、1から歩き方を学びました。
入院した時から、約4ヶ月弱の車椅子生活を経て、5ヶ月後の退院時には、ようやく杖があれば、歩けるようになりました。
右足は、右足首周辺の筋肉が動かないので、脚を踏み込むことが出来ません。
右足は、前に出すだけで精一杯なのです。
左足は、動作に関しては不自由がないので、病気になる前と同じですが、両足とも常に痺れがあり、感覚障害があり、力が入らなかったり、逆に知らない間に力が入りすぎることも、あります。
健康ランドで、浴槽に脚を入れると、踏み込む力がないので、脚が自然と浮きます。
それぐらい、脚に力が入らないのです。
リハビリの時に指摘されたのは、私は脚の内側の筋肉に力が入りすぎているから、外側の筋肉に力が入るよう意識しながら、歩くようにと言われました。
リハビリって、かなり頭脳を使うんだなぁと思いました。
だって、健常者の時は筋肉の状態を意識せずに、歩いていたわけですからね。
今でも、気がついたら、脚の内側の筋肉に力が入りすぎる時があります。
筋肉の状態を常に意識しながら、前方や後方の道路状況を見極めながら、歩いているなんて、誰も知らないと思います。
病気にかかる前は、歩くことに意識する必要はなく、道路状況や、買い物に行ったら、これを忘れずに買おうとか、歩くこと以外のことを考える余裕がありました。
今は、脚の状態、お腹や腰の状態を意識しながら、歩かないといけないので、全然、余裕がないのです。
だから、歩いている時に話しかけられたくないですし、全く耳に入りません。
でも、せっかく杖があれば歩けるようになっても、数年後には、また歩行困難になるらしいです。
次は、杖があっても自力では歩けなくなって、良くて車椅子、悪くて寝たきりになるでしょう。
私の病気は、今も進行中なのです。
まだ一箇所、手術して最悪の状況を回避しただけで、治ったわけではありません。
でも、誰もわかってくれません。
歩行困難になるのは、ひょっとしたら明日かもしれないのに、無駄なことに私の貴重な時間を使わないでほしいです。
私は、歩ける間にやっておきたい事が、沢山あるのです。
感謝
最後まで、読んでいただきまして、ありがとうございます。